
「死刑囚表現展2020」における
相模原障碍者殺傷事件実行犯の「作品」の展示は
それ自体がヘイトクライムであったと考えます。
「死刑囚表現展2020」が相模原障碍者殺傷事件実行犯(以下、「実行犯」と略記)の「作品」を展示し、彼の優生思想・差別思想を拡散する役割を担ってしまったことを、私たち(7.26追悼アクション有志)は深刻に問題視し、主催団体に対して問題提起をおこないました。(末尾に、死刑囚表現展運営会に宛てた抗議文の全文を掲載しておきます。 »» こちら )
この事案が問題にされねばならない理由は、広く共通認識とされるべきだと考え、このページを立ち上げることといたしました。お読みいただき、更に拡散していただければ幸いです。
我々の公開質問状に対する主催団体の回答は7月8日付けで郵送されてきましたが、それをみるかぎり、残念ながら、主催団体は我々の問題提起を受け止めることができなかったようです。
(主催団体からの回答文は、 »» こちら)
彼らは、ヘイトクライムへの立ち向かい方について、また障碍者が生存を脅かされている現実をどう捉えるのかついて、明確な立ち位置を示さぬまま、自らの企画の「正当性」の主張のみに終始しているように思われます。
これをみると、彼らは、2021年の企画でも間違いを繰り返すかもしれません。
広範に抗議を拡げ、暴挙を阻止したいと考えます。
具体的行動提起は、追って呼び掛けます。
目次
- [総論] 相模原障碍者殺傷事件はヘイトクライムであり、実行犯による被害者への侮辱は今なお実行され続けている
- 事実経過
- 実行犯の「作品」の影響力を過小評価してはならない
- ヘイトクライムに対して我々はいかなる態度をとるべきか
- [結論]「死刑囚表現展」が被差別当事者への二次加害を二度と行わないよう強く求めます。
- [資料] 「死刑囚表現展」主催団体宛の問題提起文
- [資料] 公開質問状に対する「死刑囚表現展」主催団体からの回答文
- [資料] 「死刑囚表現展」について
- [資料] 私たち(7.26追悼アクション有志)について
相模原障碍者殺傷事件はヘイトクライムであり
実行犯による被害者への侮辱は今なお実行され続けている
2016年7月26日の未明に相模原市の津久井やまゆり園に一人の男が侵入し無抵抗の45名を刃物で刺し19名の障碍者が命を奪われました。実行犯は「障碍者は死んだほうが良い」という趣旨の主張を事前から表明しており、この殺傷事件は〈その人が障碍者であること、そのことのみを理由にして、誰彼かまわず殺害しようとした〉という行為であったと云えます。
◯◯人であることを理由に無差別に危害を加えたとしたら、それは紛れもなくヘイトクライムです。ならば障碍者であることを理由にした危害もヘイトクライムでしょう。相模原施設障碍者殺傷事件はヘイトクライム以外のなにものでもありません。
ヘイトクライムとは何か。
端的に云えば、
〈被害者の尊厳を奪うことそのものとして実行された犯罪〉と規定できると思います。
2016年7月26日に命を奪われた障碍者は、ただ殺されただけではなく、その命の存在の全否定という凄まじい侮辱を受け、その名誉回復が未だにちゃんとなされていないということは、今なおその命への侮辱が加えられ続けていると云ってよいのではありませんか。
実行犯の「作品」の内容をそのまま引用して二次拡散に加担することは避けるべきですが、そこでは「意思疎通がとれない人間」「移動・食事・排泄に介助を要する人間」つまり障碍者に対して、「安楽死」「尊厳死」という用語で粉飾して「生きるに値しない」「殺してあげたほうがよい」と同義のヘイトと殺人教唆を発信していました。
この実行犯のヘイトクライムは2016年7月26日に完結したのではなく、未だに現在進行形で実行され続けているのだと考えます。
いかなる意図からにせよ、この実行犯の発信を「表現」だと位置づけて公共の場で展示をおこなった「死刑囚表現展2020」の行動は、相模原障碍者虐殺実行犯が未だに実行し続けている加害行為(差別思想の拡散を指す)への共犯、いや、その展示自体がヘイトクライムそのものだったと私たちは規定します。
二度と繰り返されてはならない暴挙だと考えます。
事実経過
- 相模原障碍者殺傷事件の裁判は2020年3月16日に死刑判決で結審、同31日に実行犯本人による控訴取り下げにて死刑が確定した。
- 「死刑囚表現展」は死刑廃止論者を中心に2005年より始められた企画だが、その第16回「死刑囚表現展2020」は10月23日〜25日の3日間開催され、そこに相模原障碍者虐殺実行犯の「作品」も展示された。
死刑囚への出展依頼は国会議員を通じてなされる。4月頃に「死刑囚表現展」実行団体側から実行犯に出展の誘いがなされ、それに応じる形で「作品」が提出された。
- 相模原事件の実行犯による出展は、事前にマスコミでセンセーショナルに取り上げられ、その結果として「死刑囚表現展2020」への来場者は例年になく非常に多かったとのことである。
- 私たち「7.26追悼アクション有志」は大阪で毎年7月26日に追悼アクションをおこなってきた個人の集まりだが、この展示を深刻に問題視して11月9日付けで実行団体に向けて抗議文を送った。
- 死刑廃止国際条約批准を求める団体「フォーラム90実行委員会」の機関紙「FORUM90」の vol.174 に「『死刑囚表現展』に対する疑問・批判について」(11月16日の日付のついた文書)が掲載された。そこには上記の私たちの抗議文が全文転載され、また「死刑囚表現展2020」来場者によるアンケートが紹介されていた。
この実行団体による総括文において、相模原障碍者虐殺実行犯の「作品」が差別扇動であるとの捉え方は薄く、その展示の是非については両論併記に留まっていたことが残念であった。
来場者アンケートについては、別項で詳述するが、障碍者虐殺実行犯を称揚するような意見もあり、それに価値評価を加えずにそのまま公表・拡散したことは、実行犯の差別思想の3次拡散に当たるどころか、差別思想・優生思想を持つ者たちを更に勢いづかせることに帰結しかねない悪質な発信であると考えられた。
- 企画の総括がそのような状態であったことから、2021年の「死刑囚表現展」でも実行犯の「作品」を展示するという暴挙が繰り返されることが懸念されたため、我々は「死刑囚表現展」主催団体に向けて2021年5月末日に問題提起文と公開質問状(回答期限6月末日)を送ったのである。
実行犯の「作品」の影響力を過小評価してはならない
障碍者大虐殺実行犯の「作品」を展示した主催者は、企画の総括文において、それが許容される根拠として「説得力をまったく欠き、根拠なく断定的な命題だけが並べられた彼の『作品』の描写と論理にひとの心を惹きつける訴求力はない、他人を許しがたい行動に走らせる煽動力はない」と述べていました。
そうだと良いのですが、この国における人権意識の普及の情けない現況、障碍者への無理解と冷淡さ、を考慮するべきでしょう。
死刑囚表現展2020」には1985人が来場し、369人がアンケートに記載した由ですが、その中の66名分を抽出して上記の総括文に添付して紹介していました。
そこで実行犯の「作品」に言及した人は16名で、そのうち直接実行犯の発信の危険性に警鐘を鳴らす意見が1名だけ、間接的批判が1名であったのに対し、実行犯を「革命家」であると称揚した2名をはじめとして、実行犯の考えを「深い」としたりその主張に共感したりという意見まで含むと肯定的反応が5名に及んでいました。
実行犯の差別思想に共感しそれを称揚する人が確かに存在し、むしろ批判者よりも多いのだということを、主催者自身による企画総括じたいが、広報してしまったのではないでしょうか。
これは「命に優劣がある」という実行犯の主張が世の中に蔓延っている現実をリアルに提示したというだけのことには留まりません。差別思想・優生思想を持つ人々に承認を与え更に勢いづかせることであり得ます。
もう一つ、実行犯の「作品」展示がもたらすと憂慮される重大な事態があります。
実行犯の発信をクローズアップする展示は、実行犯が何を考えていたかへの想像力ばかりを喚起します。
その裏返しとして、実行犯が「安楽死」「尊厳死」の対象とした人々への社会の想像力・共感力をむしろ封じて、殺される側に対する冷淡・無視を増強する結果に結びつくことを私たちは深刻に恐れます。
ヘイトクライム加害者に興味を持ち、そいつの発信に関心を向けること、それ自体が差別思想の普及に手を貸す共犯行為だと言っても言い過ぎではないでしょう。
あらんかぎりの想像力と共感力を注がねばならないのはヘイトクライムを受けた側に向けてではないですか。
ヘイトクライムに対して我々はいかなる態度をとるべきか
何度でも書きます。
ヘイトクライムは被害者の尊厳を奪うことそのものとして実行された犯罪です。
ヘイトクライムは他の犯罪とは厳正に区別されねばならないと考えます。
ヘイトクライムが起こってしまったときに、何をおいてもまず最優先されなければならないことは、
● 被害者の名誉を守ること、
● 模倣犯はおろか同調者を一人たりとも生まないこと
でなければなりません。
ヘイトクライム被害者の尊厳の回復について。
相模原施設障碍者虐殺事件の被害者は、尊厳の回復どころか、氏名公表さえ未だなされていない(4名のみ、名前のみの公表)、いわば存在を抹殺された状態が続いています。障碍者は名を明かせないほどの過酷な迫害を被っているということなのでしょう。これは日本社会全体がヘイトクライムの共犯者であるということではないのでしょうか?
相模原のヘイトクライム実行犯は訳知り顔に「安楽死」「尊厳死」という用語を用いています。
意思疎通や日常生活の維持に周囲の関与を必須とする人にとって、「安楽死の対象」すなわち「生きるに値しない」との規定を受けることは、介護の放棄、虐待や遺棄、殺害にまで繋がっていくというリアリティがあります。また「安楽死」「尊厳死」の言葉の飛び交う中で当事者自身が「生きるに値しない命」という思想を内面化させられ自己肯定感を奪われ自死においやられるという、「安楽」や「尊厳」とほど遠い現実があります。私たちが想像力を持たねばならないのは、こちらに向かってです。
惨殺された被害者がその上に名前さえも抹殺されるという日本のこの惨たらしい状況を承知で、なんとヘイトクライム加害者に脚光を浴びさせた、という言い方をすれば、「死刑囚表現展2020」のおこなった暴挙の罪深さが伝わるでしょうか。
ヘイトクライム加害者には名とストーリーを与えるな!
つまり、
● 加害者の名前をどんなメディアにも露出させるな
● 犯行の動機についての加害者の自己中心的な言葉を伝えるな
これが世界標準のヘイトクライムに対峙する姿勢です。
これに照らせば、
「死刑囚表現展2020」がおこなってしまったヘイトクライム加害者の「作品」展示がいかに許しがたい暴挙であるかということを理解していただけると思います。
【結論】
加害者が実行当時と同様の障碍者への差別思想を表現・発信し、それを「作品」として展示拡散することは、実行された「ヘイトクライム」自体を容認することであり、被差別当事者に対する差別扇動・虐殺教唆の二次加害であると私たちは考えます。
「死刑囚表現展」がこのような被差別当事者への二次加害を二度と行わないよう強く求めます。
【資料】「死刑囚表現展」主催団体宛の問題提起文
相模原障がい者殺傷事件実行犯によるヘイトスピーチの展示に再度抗議し、 彼の「作品」を二度と展示しないことを求めます。
【総論】
「死刑囚表現展2020」が相模原障碍者殺傷事件実行犯(以下、「実行犯」と略記)の「作品」を展示し、彼の優生思想・差別思想を拡散する役割を担ってしまったことを、私たち7.26追悼アクション有志大阪は深刻に問題視しています。
貴団体のおこなった展示には、「意思疎通がとれない人間を安楽死させます。移動、食事、排泄が困難になり、他者に負担がかかる場合は尊厳死することを認めます」という実行犯の主張が明記されていました。
例えば、特定の民族を名指しして「◯◯人は生きるに値しない、殺してあげた方が良い」と公共の場で述べた場合、ヘイトスピーチだとご理解いただけると思います。上記表現は、遠回しな修飾がなされていますが「障碍者は生きるに値しない、殺してあげたほうが良い」と同義で、人間の選別であり差別であることは明確です。すなわちヘイトスピーチです。しかも、その人たちが障碍者であることを理由にした無差別大量殺人の実行犯から発せられたという意味で殺害扇動とも規定でき、犠牲者への冒涜でもあります。「安楽死」「尊厳死」の対象とされた人たちの恐怖、怒り、悲しみを貴団体は理解できないのでしょうか?
また貴団体は実行犯の「作品」の影響力を見くびり、よりによって死刑制度反対という開明的な立ち位置から実行犯の主張を「表現」扱いで尊重してみせて、社会的に浸透している差別思想・優生思想にこの上なく強力な容認を与え、「安楽死・尊厳死」の対象とみなされる人たちの命を落とし込め追い詰めることに加担してしまった、というのが私たちの評価です。
実行犯の「作品」の展示が、「安楽死・尊厳死」の対象とされる人、いわば社会から「死刑宣告」を受ける立場の人たちに対して如何なる意味を持つのかということ、および展示の実際的な影響、を振り返る真摯な総括を貴団体に求めます。
【実行犯の「作品」を許容する貴団体の文章に対する再反論】
私たちは、2020年11月にも、貴団体に対して、実行犯の「作品」展示に関連して、命の選別についてどのような立場をとるのかを問う文書を提示しました。貴団体が「FORUM90 vol.174」に掲載した「『死刑囚表現展』に対する疑問・批判について」がそれに対する応答に当たると思われますが、その中に述べられていた2つの論点、
- 「今回問題提起されているやまゆり園殺傷事件を起こした死刑囚の場合、それが、残念にもこの世にあふれるヘイトスピーチのような特定の名指しした人びとの殺害を煽動する文章であったなら、『表現展』での展示は控えただろう」
- 「説得力をまったく欠き、根拠なく断定的な命題だけが並べられた彼の『作品』の描写と論理にひとの心を惹きつける訴求力はない、他人を許しがたい行動に走らせる煽動力はない-中略-そのような基本的な信頼感をもって、私たちは表現展を開催している」
にしぼって、それに対する私たちの考えをお伝えしますので、再度、この2つの文章に含まれている考え方を見直していただきたいと思います。
【提起1】実行犯の主張は十分に殺害扇動である
まず [1] について。実行犯の「作品」が「特定の名指しした人びと」に向けられていないという認識は間違っています。彼の起こした事件から考えても彼の言う「意思疎通がとれない人間」「移動、食事、排泄が困難になり、他者に負担がかかる」者は、誰もが障碍者のことだと察するはずです。「障碍者」とはっきり明記されていないから「特定の名指し」ではないというのは、「肌の黒い人」ならば「黒人」を名指していないというような詭弁です。
また、「意思疎通がとれない」「他者に負担がかかる」というのは、多分に他者、つまり社会側の許容力による線引きです。その恣意的な線引きを「生きるに値しない」に結びつけ、該当者を「安楽死」「尊厳死」の対象と述べることは、「◯◯人は生きるに値しない」「◯◯人として生きるくらいなら死んだほうがマシ」という紛れもないヘイトスピーチと同型であることを指摘させていただきます。
加えて、意思疎通や日常生活の維持に周囲の関与を必須とする人にとって、「安楽死の対象」すなわち「生きるに値しない」との規定を受けることは、介護の放棄、虐待や遺棄、殺害にまで繋がっていくというリアリティがあることに社会はもっと自覚的であるべきです。そして「安楽死」「尊厳死」の言葉の飛び交う中で当事者自身が「生きるに値しない命」という思想を内面化させられ自己肯定感を奪われ自死においやられるという、「安楽」や「尊厳」とほど遠い現実と恐怖を知ってください。実行犯の「作品」は直接的に「殺せ」とは書いていませんが、「安楽死させる」「尊厳死を認める」は、「殺してもいい」と扇動しているのと同然です。
2020年に貴団体が展示してしまった実行犯の「作品」はヘイトスピーチであり障碍者殺害の扇動です。
加えて、人種差別撤廃条約第4条(a)項には、
「人種的優越又は憎悪に基づく思想のあらゆる流布、人種差別の扇動、いかなる人種若しくは皮膚の色若しくは種族的出身を異にする人の集団に対するものであるかを問わずすべての暴力行為又はその行為の扇動及び人種主義に基づく活動に対する資金援助を含むいかなる援助の提供も、法律で処罰すべき犯罪であることを宣言する」
という記載がありますが、「人種」に関して許されぬことは「障碍者」に関してもそうであり、「死刑囚表現展2020」での実行犯の「作品」展示は、「差別思想の流布」「活動に対する資金援助を含むいかなる援助の提供」に当たる犯罪だと指摘することもできます。
2020年出展の相模原障碍者虐殺実行犯の「作品」はヘイトスピーチ、その展示自体がヘイトクライムに該当します。
【提起2】実行犯の「作品」の影響力の過小評価について
[2] について。人々の判断力や人権意識について信頼感を持ちたい願望は私たちにもありますが、「FORUM90 vol.174」に紹介されていた死刑囚表現展2020観覧者の感想を冷徹に分析評価するべきでありましょう。1985人の来場者の内369人がアンケート記載しその中から66名分が掲載されていましたが、実行犯の「作品」に言及した人は16名で、そのうち直接実行犯の発信の危険性に警鐘を鳴らす意見が1名だけ、間接的批判が1名(「人が人の命の必要性を裁いてしまうことは、それこそ実行犯と同じようなものの考え方だ」この意見は死刑囚表現展が実行犯の意見を拡散することへの痛烈な批判ではありませんか?)です。
一方、実行犯を「革命家」であると称揚した2名をはじめとして、実行犯の考えを「深い」としたりその主張に共感したりという意見まで含むと肯定的反応が5名に及びました。残る9名の感想は同調とも批判ともとれないものでしたが、このような一見ニュートラルな意見こそ要注意であると私たちは考えます。なぜなら、実行犯の発信で生きるに値しない命と規定された側に立つなら、このように中立を装いつつ実行犯の考えにも顧慮の余地を認める人々の存在こそが脅威であるからです。私たちは、貴団体が死刑囚表現展の総括として、実行犯の主張に同意する感想を(また、中立のように見える感想を)多く掲載したことによっても、実行犯の主張をさらに増幅して二次拡散してしまった、というのが私たちの評価です。
貴団体は、実行犯の「作品」を展示しただけでなく、それに共感・称揚する人が確かに存在しむしろ批判者よりも多いのだということを、このような形で広報してしまったのです。これは「命に優劣がある」という実行犯の主張が世の中に蔓延っている現実をリアルに提示したというだけのことには留まりません。差別思想・優生思想を持つ人々に承認を与え更に勢いづかせることであり得ます。また「意思疎通がとれない」人々、「移動・食事・排泄に他者の負担がかかる」人々の立場は益々脅かされることになります。自民党や維新の会からならいざしらず、開明的主張をしているとみなされてきた貴団体の手でこのようなことが拡散されたことが、殺される側の立場の人々を酷たらしく追い詰めるのです。
実行犯の「作品」は貴団体のおこなった展示によって「ひとの心を惹きつける訴求力」を増し「扇動力」を増したのだと私たちは評価します。更に言えば実行犯の発信をクローズアップする展示は実行犯が何を考えていたかへの想像力ばかりを喚起し、実行犯が「安楽死」「尊厳死」の対象とした人々への一般社会の想像力・共感力をむしろ封じて、殺される側に対する冷淡・無視を増強する結果に結びつくと私たちは憂慮します。
実行犯の「作品」による影響力を過小評価しないでください。
展示により「ひとの心を惹きつける訴求力」「煽動力」が増すからです。
【7.26追悼アクション有志の主張】
◯◯人であることを理由に無差別に危害を加えたとしたら、それは紛れもなくヘイトクライムです。ならば障碍者であることを理由にした危害もヘイトクライムでしょう。相模原施設障碍者殺傷事件はヘイトクライム以外のなにものでもありません。ヘイトクライムは他の犯罪とは厳正に区別されねばならない。ヘイトクライムは被害者の尊厳を奪うことそのものとして実行された犯罪であって、被害者の名誉を守ること、模倣犯はおろか同調者を一人たりとも生まないこと、が最優先されなければなりません。
2019年3月に起こったニュージーランド・クライストチャーチ市のモスクでのヘイトクライム事件に対し、アーダーン首相は、銃撃犯の名前を今後一切口にしないと述べました。その考え方を私たちは強く支持します。
ヘイトクライムの加害者には名とストーリーを与えるな、つまり、加害者の名前をどんなメディアにも露出させるな、犯行の動機についての加害者の自己中心的な言葉を伝えるな、というのが基本的態度であるべきです。相模原虐殺加害者には、どんな発信の機会も与えるべきではない(自らのヘイトクライムを全面的に間違いであったと認めない限り)、というのが我々の主張です。しかも、2020年の出展において彼は差別扇動を繰り返しました。「意思疎通ができない」を理由にその生命を否定し、「移動や排泄に負担をかける」を理由に「尊厳死」すなわちケアを取り止め死に至らしめることを認めろ、という紛れもない差別思想の流布・扇動を彼は実行し続けています。「死刑囚表現展2020」がそれを公に展示したことは差別扇動の共犯行為でしかないと私たちは考えます。
相模原障碍者殺傷事件実行犯の「作品」を
二度と展示しないことを求めます!
【貴団体の真意を問いたい】
死刑制度の本質を問うために、死刑囚表現展を開催することが、いつしか死刑囚の立場だけを擁護するものになり、死刑囚以外にも殺される側の人間が生きているということが、見えなくなってないでしょうか?
相模原障害者虐殺実行犯の「作品」を展示することで、障碍者の立場を侵し、その命を脅かしている事実を、貴団体はどう受け止めておられるのか? お伺いしたい。
【結び】
人間の中に殺してもよい命があるという主張は許しがたく、このような主張を公開展示した貴団体に疑問を抱かざるを得ません。私たちは、46名に刃物を向け19名を殺害した犯行当時のそのままの実行犯の主張が含まれる「作品」が展示されたことを共生社会自体への脅威だと捉えます。
「作品」展示により実行犯の主張を拡めたことについて、改めて振り返ることを提案します。実行犯の「作品」の影響力を冷徹に認め、その展示がもたらしたものを、殺される側の立場も顧慮した上で、皆さんで徹底的に省みていただきたい。万が一、2021年の死刑囚表現展で再び実行犯の「作品」を展示するようなことがあれば、それはヘイトスピーチを拡散し、今もなお差別と偏見に苦しめられる人々を、さらに貶める状況を引き起こしかねません。
今回の一件で、死刑囚表現展の企画者たちには、死刑囚以外の人々(実行犯の「作品」に関して言えば、障碍者であったが、それは他の立場の人々であったかもしれない)も、確かに生きているということに対する想像力が欠如しているのではないかとの疑念を持たされました。そのような死刑囚表現展のあり方を今一度見直すことを強く求めます。
万が一実行犯の「作品」を2021年も展示することがあれば、それは絶対に許しがたいことだと考えます。提出された「作品」の内容によって展示を控えるということに抵抗があるならば最初から実行犯には「作品」提出を依頼しないことを要求します。
以上
公開質問状
- 「死刑囚表現展2020」での虐殺犯の出展はヘイトスピーチであることを認めてください。 そうでないと言うなら、合理的な理由を示してください。
- 「死刑囚表現展2020」での虐殺犯の出展が障碍者をはじめとしたある属性をもつ人々の生存を脅かす影響力を発揮してしまったことを認めてください。 そうでないと言うなら合理的な理由を示してください。
- 相模原虐殺事件はヘイトクライムと位置付けられますか、位置付けられませんか? 位置付けられないとするなら、その合理的な理由を示してください。
- 相模原虐殺の実行者が虐殺を実行した理由として述べている主張を変わりないまま展示したこと自体がヘイトクライムだと我々は考えますが、それに対するご意見を聞かせてください。
- ヘイトクライム実行犯の主張を伝えることや実行犯の存在を社会に露出させる行為は許容されないと我々は主張しますが、それに対するご意見を聞かせてください。